「余白」を持ち込むという挑戦
仕事以外でも、フォトグラファーとして新しいものをつくれないか常に模索していて。今回制作した「someone, somewhere」もそのトライアルのひとつです。この作品は、「余白」を意識して制作に臨みました。見知らぬ若い男女が東京で出会って、1日だけ一緒に過ごす。最低限のストーリーや登場人物の設定は決めつつ、それ以外は当日の現場の空気で決めていく。そんな風に、計算できない要素を活かした撮影をしてみたかったんです。表現形式に映像ではなく写真を選んだ理由も、情報量を少なくして余白を持たせることで、受け手の想像力でストーリーを補完してほしかったからです。出演者についても、あえて経験の少ないモデルの方を起用しました。経験が豊富な方だと、こちらの意図を汲み取ってくれる一方で、良くも悪くもコントロールされたものができあがってしまう。そうではなくて、この作品では硬さや緊張感といった不安定さを、表現の余白として捉えたいと思ったんです。
撮影当日は、出演者の方たちとはあいさつだけしてスタートしました。「メイクされて、着替えもしたけれど、何をすればいいんだろう」と不安に思いますよね。それこそが、僕の撮りたい表情でした。登場人物の距離がストーリーの中で縮まっていくのに合わせて、自分と被写体の2人との距離を縮めたかった。だから、最初はあえて説明をしなかったんです。その後、撮影の主旨やストーリーを少しずつ説明したり、お昼を一緒に食べたりしながら徐々に打ち解けていきました。関係性の変化のなかで写真を撮っていくような進め方は、普段の仕事ではできないので、トライできて面白かったですね。
「someone, somewhere」
撮影当日は、出演者の方たちとはあいさつだけしてスタートしました。「メイクされて、着替えもしたけれど、何をすればいいんだろう」と不安に思いますよね。それこそが、僕の撮りたい表情でした。登場人物の距離がストーリーの中で縮まっていくのに合わせて、自分と被写体の2人との距離を縮めたかった。だから、最初はあえて説明をしなかったんです。その後、撮影の主旨やストーリーを少しずつ説明したり、お昼を一緒に食べたりしながら徐々に打ち解けていきました。関係性の変化のなかで写真を撮っていくような進め方は、普段の仕事ではできないので、トライできて面白かったですね。
「someone, somewhere」